僕が初めて「吃音ってしんどいな…」と思ったのは、小学生の頃でした。
とくに、国語の音読の授業。これが本当に苦手でした。
クラス全員の前で、順番に立って、つっかえるまで読み続けなきゃいけない。
あの独特の緊張感、覚えている人も多いんじゃないでしょうか。
僕の場合、つまると必ず笑いが起きる。
それが分かっているから、余計に緊張してしまう。
だから、どもってつっかえるくらいなら——
わざと読み間違えて、早く終わらせようとしたりもしました。
子どもながらに、必死に逃げ道を作っていたんです。
■ クラス中の笑い声と、うつむいた僕
どもるたびに、教室の空気が変わります。
クスクス笑う声。
真似をする子。
しつこくからかう子。
僕は苦笑いを浮かべて、ただうつむくしかありませんでした。
ある日、あまりにひどくからかわれて、
我慢できずに追いかけ回して、殴ったり蹴ったりの喧嘩になったこともあります。
でも、勝ちたいとかじゃないんです。
悔しさや悲しさが溢れて、どこにも行き場がなくて、
ただ爆発しただけでした。
■ 高学年になって気づいた「からかわれない方法」
そんな日々が続いていたんですが、
小学校高学年の頃、ふと気づいたことがありました。
「怒るから、反応するから、からかわれるんだ。」
そこで僕は、何を言われてもニコニコして返すようにしました。
心の中は全然笑ってないんですけどね。
でも、この“やり過ごす技”は効果がありました。
からかいは減って、周りの僕への評価も変わっていきました。
「何を言われても怒らない、器の大きいやつ」
そんなふうに言われることも増えていきました。
なんかいつの間に「優しい人」になっていたのです。
でもね、正直、複雑でした。
僕はただ我慢していただけで、本当は全然平気なんかじゃなかった。
そんな自分と、人から見える“落ち着いた僕”とのギャップは、
今でも覚えています。
■ 吃音は治らなかったけど、考え方は少し変わった
高学年になっても、吃音そのものは変わりませんでした。
「どもりの◯◯くん」と呼ばれていたせいか、
今でも「どもり」「吃音」という言葉を耳にすると、
心臓がキュッとするような感覚があります。
当時は、吃音は病気なのかどうかすら分かっていませんでした。
調べるのも怖かった。
「自分は病気なんかじゃない」と思い込みたかったんだと思います。
ただひとつ言えるのは、
吃音が出る場面は決まっていた、ということ。
- 注目を集めているとき
- 自分の順番が近づいてくるとき
- 「絶対つまったらダメだ」と思っているとき
- 心臓がバクバクしているとき
こういう状況では、かならずと言っていいほど吃音が出ました。
自分の名前ですらどもっていました。
つまって、笑われて、落ち込んで。
あれが、僕の小学生生活です。
■ おわりに:この頃の僕に声をかけるなら
もし、小学生の頃の自分に何か言えるなら、
「がんばってるな、えらいよ」
そう言ってあげたいです。
当時の僕は、
“どもる=ダメな自分”
と思い込んでいたので。
今つらい思いをしている子どもや、その家族の方へ。
この連載が、少しでも寄り添える存在になれたらと思っています。
次回は、中学生編です。

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